カスのプレバト〜俳句の才能査定ランキング〜
こんにちは。こばると(https://twitter.com/428sk1_guardian)です。
前回の記事では、友達に「連歌会」と称した訳のわからないゲームに参加させられ、訳も分からず優勝の座を奪われました。
終わった後に連歌のルールをきちんと調べてみたら、マジで何もかも全部もれなく違っていて愕然としました。これを友達に知らせようとしたのですが、「ルールを知らないままの自分でいたい。邪魔しないで」と言われ拒否される始末です。訳がわかりません。
今回はそんな彼らに、真の教養を叩き込みます。そう、俳句によって。
皆さんは、俳句をご存知ですか?
五七五の調べに乗せて情景を紡ぐ、日本の伝統文芸の一つです。
昨今では「プレバト」などのバラエティ番組でも、美しい日本語の表現力の資金石としてその知名度を高めていますね。
かつては矢数俳諧と呼ばれる、矢継ぎ早に俳句をつくり続けその総数を競うといった競技的な側面からも楽しまれました。一日で20000句以上を詠みあげたとされる井原西鶴の記録は当時破られることがなかったと言います。
しかし、かくある現代人の我々もブログ、ツイート、はてなダイアリーといった場面で日常的に、まさに矢の如き素早さで他人に刺さる表現を磨いています。ともすると、その才能がいつ開花してもおかしくありません。
そんなわけで今回は、僕の知り合いの中でも特にツイート数が目立つ友人たちにぶっつけで俳句を作らせ、彼らの真の表現力のポテンシャルに迫っていきたいと思います。
俳句とツイートの区別もついていない作品ばかりが押し寄せる、極めて低レベルの俳句査定ランキングの開幕です。
- 審査員
- 挑戦者
- 見届け人
- お題
- 数日後
- 奨励賞
- 第15位
- 第14位
- 第13位
- 第12位
- 第11位
- 第10位
- 第9位
- 第8位
- 第7位
- 第6位
- 第5位
- 第4位
- 第3位
- 第2位
- 第1位
- おわりに
- 前日譚&後日談
審査員
こばると(@428sk1_guardian)
高3から俳句を始め、大学の俳句研究会で真面目に俳句を詠んでいる。
総ツイート数はおよそ19.3万。
挑戦者
みゃーこ(@mya_Lolita)
前回「誰もルールを知らない連歌会」の主催者にして優勝者。
総ツイート数はおよそ3.2万。
たぎょう(@nei_145)
高校演劇部員としての経験から、口から出まかせが得意。
総ツイート数はおよそ2万。
ういお(@meshmesh_tk69)
デザインとFPSが得意。
総ツイート数はおよそ2.5万。
見届け人
のこ(@NOCO_1002)
ガヤとしてこの4人に引き込まれた。
総ツイート数はおよそ7.1万。
お題
今回3人に詠んでもらうお題となるのは、こちらの写真。
僕が撮りました。勝手に使わないで
フリー写真素材じゃ味気ないだろ。どうせツイートの肥やしにもならなかったんだからいいじゃん
幻想的に霧がかった、山形県は立石寺(りっしゃくじ)の写真です。
立石寺といえば、かの芭蕉が「おくのほそ道」で「閑さや岩にしみ入る蟬の声」という、あの名句を詠んだことでも知られる地です。
そんな由緒ある場所にインスピレーションを受けて、この3人が詠む句。きっと、傑作揃いに違いありません。
なるほど。とりあえずクソデカ逆松尾芭蕉やるか
じゃあ僕はインターネット松尾芭蕉をやります
お前ら大丈夫?
数日後
全作品の審査が終了しました。応募期間は3日という短い時間でしたが、実に141句もの作品が寄せられました。
うち15句を入賞作として発表、ほかに、15句を入賞に至らなかった佳作、1句を惜しくも佳作に至らなかった奨励賞(落選)とします。
奨励賞でも落選なのか。ほかの110句は?
ネタの肥やしにもならないゴミカスの掃き溜めです。100以上もこんなのがあるのが信じられない
怖すぎる
奨励賞気になる。佳作はいいからこれだけ見せてよ
奨励賞
では特別に、奨励賞の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
霞立ち 蚊帳張る夜長 息白し
(かすみたち かやはるよなが いきしろし)
僕の句だ
「霞」が春、「蚊帳」が夏、「夜長」が秋、「息白し」が冬の季語です。明らかにふざけていますが、こんな作品が一度は佳作に入ろうかという勢いまで見せていた問題作です。本大会の低レベルさがうかがえます。
季語で全部の季節揃えたら“最強”の俳句になるんじゃないの?
エクゾディアと勘違いしてるよ。それ
落選作、これよりひどいのか。気の毒になってきた
そもそも霞は絶対「立つ」し、「張ら」ない蚊帳なんて聞いたことがありません。当たり前のことで4音を無駄にするスタイルに、音数だけ合わせて人をおちょくってやろうという魂胆が透けて見えます。二度と来ないでください。
プレバトで聞いたことあるやつだ
本家もこんなキレてねえよ
これうまく添削してよ。テレビでよく見るやつ
こんなもん添削のしようがありません。うぬぼれないでください。
【奨励賞】霞立ち 蚊帳張る夜長 息白し
添削:不可能
作者:ういお
落選理由:季節が全部入っており、ずるいから
第15位
続いて、15位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
石仏や 猛る坊主を 忍殺-SHINOBI EXECUTION-
(せきぶつや たけるぼうずを にんさつ SHINOBI EXECUTION)
笑っちゃった
初っ端から「圧」が強いんだよ
これ、僕の句です
でしょうね。こういう力任せの押し切りをしてくるパワータイプのカスはだいたい君だろうなという嫌な審美眼が身に付いてきました。
何か申し開きはありますか?
SEKIROで坊主に一発食らわせてやった情景を詠んだ句です。石仏は寺のステージによく登場します
わかるわかる。俺もSEKIROやってるから
カスの感性が響き合っていますが、知ったことではないです。ここはSEKIRO川柳大賞2021の会場ではないので、せめてわかるように書いてください。
ごめんなさい
では添削していきます。
えっ このカスを?
添削できるできないの基準がわかんねえ
「石仏や」。まずはここで場面に切れができていますね。「や」は詠嘆をつくる切字なので、直前の「石仏」が強められています。
最強の石仏
次に、「猛る」という力強い動詞に、これまた粗雑で強い言い方の「坊主」が登場します。やはりこの「坊主」も強調されていますね。
最強の坊主
そして最後に、「忍殺-SHINOBI EXECUTION-」というこれでもかと大文字で強調された技名。厨二病を発症する前の小学4年生にしか許されない言語センスです。575を大きく突き抜けるリズムに、若い疾走感が感じられます。これがカスの搾りガラのようなこの句に残された最後の持ち味と言っても過言ではないでしょう。
最強の必殺技。ニンジャは最強なので
黙っててくれない?
最強のワードが3つも入ってるんだから最強の俳句に決まってるだろ。何がいけないんだ
まさにそこです。この句は、詩の核となりうる強い題材、いわゆるパワーワードを入れすぎて、かえってお互いの効果が殺し合い、均衡がとれていない状態といえます。カレーハンバーグラーメンみたいなものですね。
バカの小学生が考える飯じゃん
最終的になんの味もしないやつ
こういう場合、季語をどこかに一つ入れると、季語とそれ以外でパワーのバランスがとれてうまく棲み分けできることがあります。ということで、季語を入れて添削してみましょう。
まず、「石仏や」の切れはそのまま残しつつ、「坊主を」を「坊主の」に変えます。
坊主が必殺技発動することになっちゃうけど
そのままだと罰当たりすぎるので、君が坊主にしばかれるぐらいでちょうどいいです。
ひどい
自業自得。
最後に、この句の最後の持ち味だった「忍殺-SHINOBI EXECUTION-」の、突き抜けるようなリズムと幼稚な発想を生かし、ここに季語っぽい必殺技フレーズを入れましょう。
なんか横文字書き始めたけどこの先生
「Eternal Force Blizzard」です。これが冬の季語になります。
嘘だろ
読み上げます。「石仏や猛る坊主のEternal Force Blizzard」。
こうすることで「や」が作る場面のカットにも締まりが出て、石仏や坊主の力強さ、荘厳さにも焦点が当たってきましたね。
なんかいい句に見えてきた
煙に巻かれている。目を覚ませ
こういった、新しい季語の提唱ともいえる句は、いつの時代も詠まれてきました。
かの中村草田男も「万緑の中や吾子の歯生え初むる」という名句を詠みましたが、当時「万緑」はまだ季語として使われていない新しい季語だったんです。しかし、多くの俳人がこれを気に入り、彼に倣って「万緑」の句を詠んだことで、「万緑」は夏の季語として定着しました。
しかし仮にそれが季語として認められず、定着しなかったとしても、句の価値自体はなんら変わりません。自分にとって十分に詩としての価値があると思えば、その句は無季の句として扱えばいいのです。
先生……!!
いい話っぽくまとまってるけど要するに「どんなに理屈をでっちあげてもカスはカス」って意味らしい
【第15位】石仏や 猛る坊主を 忍殺-SHINOBI EXECUTION-
添削:石仏や猛る坊主のEternal Force Blizzard
作者:ういお
講評:小学4年生の、カスの搾りガラのようなユーモア
俺たちも「Eternal Force Blizzard」で俳句を次々詠んで、俳句界に混乱をきたそう
第14位
14位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
秋深き※1 鐘が鳴るなり※2 通りけり※3 注1:松尾(江戸) 注2:正岡(1895) 注3:夏目(1935)
(あきふかき かねがなるなり とおりけり)
またなんか始まりました
最高
注を含めて、このまま1句として送られてきました。俳号「剽窃はこれを許しません」さんからの作品です。
はい。剽窃は許しがたいです
作者の名乗り、ありがとうございます。どういう魂胆で詠まれた句でしょうか?
やはり伝統文芸ですから、先達にリスペクトを払おうと。その上で、最近剽窃が大きな問題となっていますから、きちんと引用元を明記しました
なるほど。まず最初に、大前提の確認なのですが、これは盗作ですね。
元も子もない
その上で、これも些細な確認なんですが、この「秋深き」は松尾芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」、「鐘が鳴るなり」は正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」、「通りけり」は夏目漱石の「秋の山静かに雲の通りけり」からの引用ということでいいですかね。
はい。さすが先生、三句ともご存じでしたか
まあ最後の句は知らなかったので調べたんですが、それ以前の問題としてまず、
松尾芭蕉って「松尾」じゃなくて普通「芭蕉」の方で呼ぶと思います。
えっ
同じように、正岡子規は普通「子規」だし、
漱石のことを「夏目」と呼ぶ人にいたっては現代日本にいないと思います。
当時の本人の知り合い?
3人とも誰も呼んだことない方で呼び捨てにされててかわいそう
内容についてですが、俳句にも和歌における本歌取りのように、すでにある句や歌をふまえてそれをもじった新たな情景を描く、というオマージュ句の作り方はあるんですね。藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を踏まえた、大伴大江丸の「秋来ぬと目にさや豆のふとりかな」といった名句が有名です。
ただ、普通はその句を読んだだけでオマージュ元がわかるように作るし、わざわざ引用元を示さなくても十分だろう、というふうに、読者を信頼して作るものなんですよ。親切に引用元を書いたつもりかもしれませんが、この句は読者をバカにしています。
引用元表記は全部削りましょう。自分で書いた句の内容以外で御託を並べるあたり、詠み手の卑怯さが表れています。
もう半分消された
また、5・7・5それぞれを別の句から継ぎ接ぎで引っ張ってくるナンセンスパクリ芸をするなら、いっそもっと吹っ切れる覚悟が必要ですね。全部秋の句で統一しているあたりが逆に芸がないですし、「通りけり」で普通は漱石の句だとはわかってもらえません。
根本的に見直しましょう。
思い切って、「秋深き」以外全部消します。
劇的添削だ
6行書いて5行ぶん消されることある?
「秋深き」が仲秋ですから、ここから時間を一気に飛ばしましょう。次の7音を「冬来りなば」とします。パーシー・B・シェリーの英語詩の邦訳からのパクリですね。
は?
秋・冬ときて、最後に春です。「春高楼」と締めましょう。言わずと知れた「荒城の月」の名フレーズを勝手に拝借します。
ちょっと待って
読み上げます。「秋深き冬来りなば春高楼」。
跡形もなくなった
これ、「霞立ち」の句とどっこいどっこいでしょ
なんなら四季を揃えた分こっちの方が上
オリジナリティのない句は添削してもこの程度の陳腐さになるのが宿命です。どんぐりの背比べとはこのことです。
【第14位】秋深き※1 鐘が鳴るなり※2 通りけり※3 注1:松尾(江戸) 注2:正岡(1895) 注3:夏目(1985)
添削:秋深き冬来りなば春高楼
作者:剽窃はこれを許しません(みゃーこ)
講評:読者をもっと信頼しましょう
なにこれ
第13位
13位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
FUCKING TEMPLE FUCKING TREE FUCKING MOUNTAIN
まってまって
笑い止まらん。たすけて
ビビって声を出すのも忘れてしまった
俳号「MATSUO=D=BASHO」さんの作品です。
採用ありがとうございます。MATSUO=D=BASHOです
最悪のDの一族?
意図としては、自然をテーマに、自然と人間の調和を描いた作品になります
なるほど。全編英語の作品ですが、山道にうっかり踏み入ってしまった外国人観光客の叫びが聞こえてくるようでした。思わず口ずさみたくなるリフレインの感覚もみずみずしいですね。
そうなの?
何でこれ褒められてるんだ。今までのはどうした
しかし、やはり強い言葉がいくつも登場しすぎて詩的効果が分散してしまっている点は見過ごせませんね。同じ言葉のリフレインも2回で十分です。どれか一つを削ってみましょう。
立石寺に失礼なので「FUCKING TEMPLE」を削ります。
当然の摂理
まず俳句に失礼
すると、実はこれだけで句として完成するんです。音数を数えてみてほしいんですが、
「FUCKING」が5音とも4音とも取れるリズムを持っているので、「FUCKING」で初めの5音、「TREE FUCKING」でだいたい7音、「MOUNTAIN」で5音を作ることができて、これで575の調べが成立します。
世界一気付きたくなかった575指摘
また、同じ形容詞のリフレインや、「TREE」「MOUNTAIN」の名詞の対句構造から、「TREE」の直後に場面のカットがある構造になっていることがわかります。
このように、全体では合計17音になっていても、5・7・5のリズムの切れ目と場面のカットが一致せず、575の「7」や「5」の部分が途中でカットされる構造の句を「句またがり」の型と呼びます。
句またがりのリズムは、駆け抜けるような力強さを感じさせる印象があります。句またがりやリフレインを効果的に使った類句には、加藤楸邨の「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」がよく知られていますね。
そんな名句とこれを並べて怒られない?
前回の連歌会で「句返し」とか「句取り」とかない俳句用語をさんざんでっちあげたせいで、実在する俳句用語を聞くと笑ってしまう
日本俳句協会に謝れ。あるか知らないけど
もう一度読み上げます。「FUCKING TREE FUCKING MOUNTAIN」。
読み上げられるたびに笑っちゃう 無駄に発音がいい
【第13位】FUCKING TEMPLE FUCKING TREE FUCKING MOUNTAIN
添削:FUCKING TREE FUCKING MOUNTAIN
作者:MATSUO=D=BASHO(みゃーこ)
第12位
12位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
天狗とか スカイフィッシュとか 忍者とか 飛ぶ
(てんぐとか すかいふぃっしゅとか にんじゃとか とぶ)
なんか飛んでった
何。なに
この句の作者のかたは?
はい。私です
お題の写真が山の上から眺めた構図だったので、何かが飛んでいそうだなと思いました
霧の中、山寺を飛んでいるものといえば、まあ天狗や忍者、あとスカイフィッシュぐらいのものかな、と
かな、と。じゃないんだよ
非常にシンプルな情景を描いた句ですよね。やろうとしている狙いと、実際に紙面で再現されているものの効果が非常に近いということで、詩としての技巧面は高いレベルに達していると思います。
そうなの?
序盤は、助詞「とか」で名詞がいくつも並列される構成になっています。ここまで、あえてそれぞれの様子を動詞で説明していないのが絶妙です。このような句は、西村和子の「水音と虫の音と我が心音と」のように、静謐さや奥行きをもった深い世界観を印象づけます。
また知らん名句が出てきた
怒られても知らんぞ
「天狗とか」が5音、「スカイフィッシュとか」が8音、「忍者とか」が5音。ここまでで575に近い調べは成立しています。これだけでも、「俺が作ったのはまごうことなく俳句だが、何か?」という顔はできたはずなんです。実際にされたら張り倒すけど。
張り倒すんだ
でもこの句は、最後に「飛ぶ」の2音をわざわざ入れている。そこに、表現の意図・効果があるということなんですね。
その通りです。気づいていただけて光栄です
そうなの?(2回目)
「天狗とかスカイフィッシュとか忍者とか」まで読んだところで、読者の頭の中にはこの世ならざるもののイメージがいっぺんに流れ込み、混乱させられるわけです。何が起きたんだ。俺は立石寺の霧の中にいたんじゃないのか。俳句コンテストじゃなかったのかこれは、と。
かわいそう
混乱さめやらぬ中、事態の収拾を望んで読者は続きに目を通します。締め、オチというべき部分に「飛ぶ」の2音のみが提示されることによって、読者は混乱から一転、その場にひとり取り残される孤独に叩き落とされます。この展開の切り替えは見事です。ムカつくけど。
ムカつくんだ
これまでの句は、詩の核となる強い材料を詰め込みすぎたバカ小学生のデラックス弁当状態でしたが、この句は対極的に、イメージの強かった3体の異形が飛び去ってしまったことで、まったくの空っぽの詩になっています。
俳句にも精通したフランスの哲学者、ロラン・バルトは日本文化の特徴を「空虚な中心」であると述べ、意味から解放された日本人の精神の自由さを論じました。この句は、そんな意味の欠如たる禅の心を象徴するような一句であると思います。添削は必要ありません。
そうなの?(3回目)
やったあ
【第12位】天狗とか スカイフィッシュとか 忍者とか 飛ぶ
添削:なし
作者:ういお
講評:立石寺はどこへ?
第11位
11位の句の発表です。ここから、シンプル凡人ゾーンに入っていきます。スベリ俳句と言えるジャンルですね。
一番怖いやつだ
霧の中の立石寺の写真で、一句。
雪にめき 小さくて かわいい君は
(ゆきにめき ちいさくて かわいいきみは)
あーーー。僕だ
たぎょうさんの句ですね。こちらはどういった情景ですか?
なんでしょうね、これ 自分でもわからないです
いやいや は?
そうですか。ちなみに解説に入る前にひとつだけ聞いておきたいんですが、この句はちいかわの句ですか?
え?
この句は、ちいかわの句ですか?
は?(2回目)
ついに先生もおかしくなった
よかった。万が一にもここで「雪みたいに白くて、ちいさくてかわいいんですよ〜〜〜これ実はちいかわのことなんです〜〜〜〜べろべろべ〜〜〜〜〜」みたいなことを言われたら「俳句はなぞなぞじゃねえんだよ」と一喝のうえ破門、市中引き回しの刑にするつもりでいたのですが、そうではなかったようなので続けます。
どんな想定だよ
俺たちのカス俳句が悲しい疑心暗鬼モンスター教師を生んでしまった
まず「雪にめき」の「めき」。これはおそらく「春めく」「時めく」といった比喩を表す接尾辞「〜めく」のことだと思いますが、そうだとするなら「めく」は直接名詞の後ろにつかなければいけないので助詞「に」が文法上不要になります。
なので、「雪めいて」「雪に似て」「雪のよう」などと言い換えましょう。
これ、比喩だったんだ
わかってなかったの?
フレーズとして頭に浮かんだけど意味わかんなかったからそのまま使っちゃった
頭おかしい
最初この句を読んだとき、この作者は、妄想か体験談かわかりませんが、とにかくこの「君」というどなたかに捧げたい思いや情景があるのではないか。それを叙情的に甘く美しく描写しようとした結果、言葉が収まりきらず、詠んだ本人にしか言いたいことがわからないド凡人の自己満足句ができあがっちゃったのかな、と思ったんですよ。
こっちもこっちでひどい言い草だ
とにかく、この小さくてかわいい「君」と、降っている雪を取り合わせて表現したかったのかな、と思っていくつか添削を考えました。
最初の比喩を生かすなら、ここで「雪のごと」と言い切ります。
そして、「小さくてかわいい君」への自己満足な愛の囁きをいったん全部切り捨てて、具体的なエピソードを入れます。小ささ、健気さを表す描写と考えると、手をつなぐ場面でしょうか。
完全な私の創作になりますが、たとえば「君われの手をやはらかく」とでも結んでみましょう。こうすると、「雪のごと君われの手をやはらかく」という、ひとまず叙情的な句ができあがります。
「ひとまず」の時点で「雪」以外全部消えたけど
また、さらに技術的なポイントを挙げれば、この句は季語の「雪」を比喩に組み込んでいますね。季語を比喩の一部に組み込む表現は、本来季語が持っていた現実性の高い鮮やかなイメージが仮想世界に追いやられてしまうということで、嫌われてしまうことがあります。
それを避けるには、たとえば最初の5音を「粉雪や」などのように、季語のみのフレーズにしてみましょう。これだけでも十分、「雪」と「君」のイメージは読者の中で重なってくれます。
読み上げます。「粉雪や君われの手をやはらかく」。
いよいよオリジナルが消え失せた
本当はもっと、どんな雪の日の「君」との情景を詠みたかったのか君から聞きたかったんですけどね。君が想像以上に中身のない空っぽ人間だったので、活かそうと思っても活かせませんでした。
本当に、「雪にめき」ってワードだけが頭に思い浮かんで、あとは適当に作ったんですよ
ワードサラダ人間だ
出来の悪いAIみたいな文章の作り方ですね
ここに「霧の中の立石寺」というお題で句を考えた君はどこにもいません。これは完全に、私が「雪」ってお題で新しく一句詠んだだけです。
【第11位】雪にめき 小さくて かわいい君は
添削:粉雪や君われの手をやはらかく
作者:たぎょう
講評:空っぽAI人間が覚えた、いびつな愛の形
頼むから、素直に霧と山寺の句を詠んでください。
第10位
10位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
振り向けば白き想いが松のあと
(ふりむけば しろきおもいが まつのあと)
何これ
俺もこんなの送った記憶ないよ
俳号「松尾芭蕉」さんからの作品です。
じゃあ僕かな。まったく記憶にないけど
たぶんネタとか何も考えずに心から溢れた思いを素直に詠んだんだと思います。覚えてないけど
とりあえず芭蕉の名を騙ったことは謝ってください。
ごめんなさい
虎の威を借る狐
この句を読んだ時に僕も困りました。とにかく「白き想い」がなんなのかわからなくて…霧のメタファーのつもりか、自分の具体的な思いを描いてるつもりなのか、どっちにせよさっきの句と一緒で叙情的になろうとして大コケした句だと思ったんですが、とにかく本人に聞けばわかるんだろうなと。
ところが、ひさびさにまともにトライしてまともに失敗した句が来たなと思ったら、意味もわからず何も考えずに送っただの送ったことすら覚えてないだの、君たちは本当に空っぽな人間なんですね。
どうしようもない
とりあえず、「振り向けば」は勝手に振り向いてろって感じなので消しますね。
次に、この「白き想い」が霧のことなのか、具体的な感情の発露ととるのかで方針が変わってくるんですが、作者の方針はどっちですか?
方針とかないけど、霧でお願いします。
じゃあもうストレートに「霧」って書きましょう。じゃないとわかりようがないです。
もう元の言葉が5音しか残ってない
で、「松のあと」も意味わからないんですけど。
僕もわからないです
何も中身がない
要するに何も書く気がなかったんですね。新しく一句考えるのが極めて苦痛ですが頑張ります。
「霧」と季語が重なりますが、「松」をうたった格好いい季語に「色変へぬ松」というのがあります。紅葉の時期になっても葉が緑のままで変わらない松の木の美しさを讃える季語です。
これを使ってみましょうか。「のあと」は消します。「色変へぬ松や」。
残り2音になった
もう「立石寺」から何から全部使って残り15音を埋めます。なんとかオリジナリティのなさをごまかしましょう。「霧」のあとに「霧めく立石寺」と続けて、語順を入れ替えます。
読み上げます。「色変へぬ松や霧めく立石寺」。
何もかも変わった
芭蕉も喜んでると思います
正直季語は二つ入ってるし、立石寺に行ったことしかわからない凡人の句なんですが、元の句の中身がないのでこれが限界です。もっと芭蕉をリスペクトしてください。
【第10位】振り向けば 白き想いが 松のあと
添削:色変へぬ松や霧めく立石寺
作者:松尾芭蕉(みゃーこ)
講評:疲れた
第9位
9位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
人去りて 佳景の端に 松一人
(ひとさりて かけいのはしに まつひとり)
凡人ゾーンの最後はういおさんの作品でした。この句はどういう句ですか?
え、覚えてないです
やっぱりみんなスベった句は自分の記憶からも消えてるんだな
たぶん、古文の授業受けた後に思いついた句だと思います。「松」は「待つ」との掛詞です
やっぱりそうか。仮にそうだったとしたらあまりに安易だなあ、と思った私の仮説が合ってましたね。
小手先で知ったようなことをするとぶった斬られる。教養の世界は恐ろしい
掛詞って、端的に言えばシャレですよね。17音しか表現の幅がない俳句の中でそんなに意味を詰め込もうとするのは、そもそもがかなり技術のいる難しいことなんです。ろくすっぽ料理の基礎もわかってないのにレシピにアレンジを加えだすようなメシマズ仕草は頼むからやめてください。
至言だ
まず「人去りて」ですが、これは特に誰か特定の「人」をイメージしているわけではないんですね?
はい
だったら消しましょう。17音しかない描写のスペースで、単なる「〇〇したら××になって〜」という時間的情報の羅列はむしろ邪魔です。
次に「佳景」ですが、いい景色だと思うんならそれを具体的に書けよという話なので、こんな端的すぎる3音はいりません。ついでに、「端に」も勝手に端っこばっか見てろという感じなのでこれも消します。
どんどん切り倒されていく
最後の「松一人」ですが、もうここまでくると「一人」の意味がわかりません。この「一人」が自分や他の誰かのことだという確かなイメージもないようですから、これも削りましょう。「松」だけになりましたね。
凡人の句、ことごとく最後に1文字しか残らない
そもそも「松」だけ残ったところでこれは季語でもなんでもないという痛すぎる欠点があるので、ここはさっきも使った「色変へぬ松」にもう一度頼ります。「色変へぬ松や」。
もう全部変わった
ここまで芭蕉が最悪の扱いしか受けてないので、リスペクトを捧げてお詫びしましょう。「色変へぬ松」は、変わらず受け継がれる人物の偉大さを讃えるのに相性がいい季語です。さっきの句から「のあと」だけ借りて、「芭蕉の句碑のあと」とします。
読み上げます。「色変へぬ松や芭蕉の句碑のあと」。
見る影もない
これが限界です。助けてください。
君は僕と一緒にここ行って写真撮ったじゃん。それでこれはひどい
なんの記憶も残ってなかった
【第9位】人去りて 佳景の端に 松一人
添削:色変へぬ松や芭蕉の句碑のあと
作者:ういお
講評:助けて
第8位
8位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
山の中の 山の中の 山の中
(やまのなかの やまのなかの やまのなか)
まってまって
これ絶対ういおだろ
作者です。山の中です
ういお節が炸裂していますね。特にこれ以上言うことはなさそうなので、私から解説します。
これまでの作品を見ていてもわかりますが、この作者は文字や音をいじって遊ぶのが好きなタイプの技巧派詩人ですね。で、この人がそういう文字・音の効果を狙って小手先でなにかをやると、5回に1回ぐらいはヒットが打てるんです。
この句は、17音11文字しかありませんが、「山の中の」というまったく同じ文字で綴られるリフレインの連続をぐるぐると眺めているうちに、途中で不安を催させてくるなにかがあります。
終わりのないフラクタル図形を眺めているときの感覚や、ゲシュタルト崩壊に近いものを誘っているわけです。先行きや、着地点・終着点がないことへの不安。
やはりこの作者は、読者を不安の渦に叩き落とすのが作風なんでしょう。まったくもっていい趣味です。
じゃあ、深い山の中にいる不安を詠んだってことにしておいてください
しておいてくださいじゃあないんだよ
ちなみに、一応こういう発想に類似した句はないこともないんです。なのでこの中途半端な順位に落ち着いたというのもあります。
やっぱりあるんだ
カス俳句に即座に似てる「ある俳句」を引き出せるのすごいな
種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」なんかはあまりに有名でしょうが、こういう終わりのない不安を詠んだ句には、高柳重信の
「月光」旅館
開けても開けてもドアがある
がありますね。
こっわ
あとは、似たリフレインの構造、深い奥行きを持っている句に飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」があります。シンプルな情景ですが、「一月」という凜とした季語によって引き締まった、ビビッドなイメージを描いています。
この「山の中」の句は、やっていることは単純な言葉遊びの域をギリギリ出られていないんですが、その言葉遊びがもたらしている効果には目を見張るものがある。今あげたような名句がやろうとしていることの2・3歩、いや10歩手前ぐらいには達することができていると思います。
ほんとか?
この辺の順位の作品からだんだん、単なるカスのインターネットオタクがふざけて作った文章から、詩人のおふざけ・戯れでできた詩の域に昇華されてきている印象がありました。この句は下手にいじると作者の意図したバランスが崩れてしまうので、このままで味わいましょう。添削は必要ありません。
ほんとか?(2回目)
なんで俺の句がほとんど消されて、こういうのが添削なしなんだ
【第8位】山の中の 山の中の 山の中
添削:なし
作者:ういお
講評:ふざけているが、憎めない
やったあ
第7位
7位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
ただ宇宙に それほど近くも ない場所から
(ただうちゅうに それほどちかくも ないばしょから)
よりもいじゃん
よりもい見た?
よりもいなんだこれ。作者です
例によってういおかと思ってましたが、君だったんですね。
3秒で考えました。僕も意味はわからないです
よりもいだろこれ。どう考えても
例によって空っぽなAIがたまたまヒットを打っただけの空っぽな詩ですね。でも、いいところはちゃんと褒めます。
この句は季語の入っていない自由律句なんですが、散文的にだらだら内容を連ねながらもリズムはなんとなく17音+αの範疇に収まっているという心地よさがありますね。内容も、これからSF映画が1作始まってしまいそうな、舞台の開幕前のように静謐な雰囲気を演出しています。
やっぱりよりもいだ
また、「ただ」や「それほど」といったフレーズは一見、散文的で無駄な説明に思えますが、実はその1語1語が存在することで、私たちの住む現実の延伸にありそうでない、微妙な立ち位置に漂っているこの句の世界観のバランスをとる、捨て石のような役割を果たしています。これは下手に取り去ると、かえってこの調和が崩れてしまうでしょう。
そうなんだ
これを575の長句として、後ろになにか77のフレーズを続ければ、そこそこできのいい現代短歌の世界観ができていくような気もします。文句をつけるといえば、霧も立石寺もなにひとつ関係がないということと、これを「俳句」と言って出してきたことぐらいでしょうか。
ごめんなさい
一編の詩として見るならば、今回の応募作の中ではかなりできている類いに思えました。この句にも添削はいりません。
【第7位】ただ宇宙に それほど近くも ない場所から
添削:なし
作者:たぎょう
講評:世界観をもった「詩」になっている
いや、やっぱりこの句には「圧」が足りない。僕は認めない
知らねえよ
第6位
6位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
塔の突端を 雪ぐ霧 冬はまだ来ず
(とうのとったんを すすぐきり ふゆはまだこず)
あ、作者です
これはどういう意図で作った句になりますか?
はい。まず、575の定型に対する逆張りとして、757の句を作ろうと思いました
どういう尖り方だよ
霧の濃く重たいイメージを表現するために「雪ぐ」とつけて5音にし、「雪」の字からの連想で「冬」から始まる7音を作りました
きちんと季語を入れたのがアピールポイントです
俳句コンテストで聞くはずのない言葉だ
これがアピールになるのがおかしいんだよ
なるほど。「冬はまだ来ず」という言い切りが、荘厳な寒さの訪れを表しているようでいいですね。タ行の音が韻を刻む「塔の突端」という固いフレーズも印象的です。これと「霧」が合わさることで、洋館ホラーのような超現実性が演出されています。
ただ、「雪ぐ」が余計かな。こういうもったいぶった壮大な動詞を使うと、作者本人は何か言ったような気がして気持ちよくなれるんですが、読者のウケはよくないです。削りましょう。
身につまされる
ごめんなさい
そして、先ほど褒めた「冬はまだ来ず」なんですが、このフレーズはイメージが「冬待つ」や「冬隣」といった季語に近くなります。すでにある「霧」という秋の季語と重なってしまうので、どう解消できるかが悩みどころですね。
真面目な添削だ
そこ感動するところ?
「霧」と「塔の突端」の構図は残してみたいので、ひとまず語順を変えてこの二つを繋げます。「霧は塔の突端を」。
残った「冬」の使い方ですが、たとえばこんな感じでどうでしょうか。「冬は街を」として、後ろにつなげます。対句構造にすることで、時間的描写に二つの層を作り、先ほどの「霧」との季語の重複をごまかすことを狙いました。
読み上げます。「霧は塔の突端を冬は街を」。
なんかそれっぽい
これまでの句を読んでいて、やっぱり、ういおは読者を不安に陥れる世界観が好きなんだろうな、と思いました。
不気味な世界を作るだけ作っておいて、そこに日常を過ごしている人間のことは一つも考えない。シムシティみたいな世界観を持っている詩人ですね。「エモいけど住みたくはない街」というのを描かせたらこの人の右に出る人はいません。
シムシティ???
そういう、世界が完結していない不安のようなものを、何も説明せずに名詞と助詞だけを並べることで再現してみました。何も言い切らない無責任さを、あえて割り切って自分の作品の持ち味にしてみてはいかがでしょうか。
言い切らない無責任さ。勉強になります
これは普通にいい添削だな
【第6位】塔の突端を雪ぐ霧 冬はまだ来ず
添削:霧は塔の突端を冬は街を
作者:ういお
上位の句になってくると、添削のしがいもあるというものです。
第5位
5位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
空低し 宇宙も白いに 違いない
(そらひくし うちゅうもしろいに ちがいない)
それっぽい
また僕じゃん 作者です
2連続ですね。どんな情景を詠んだ句でしょうか?
えらいので、季語を調べたんですよ。晴れ渡った秋の青空を「空高し」と呼ぶらしいので、雲に覆われれば低くなるかなと
また、あたり一面が真っ白なので、いっそ宇宙まで白いのではないか、というバカ特有の発想の飛躍を詠みました
詩をバカにしてるだろ。破門
「宇宙も白いに違いない」と散文的に言い切る、胸の内から吐き出されるような気付きには身に迫るものがありますね。たぎょうといい君といい、なぜ君たちは霧を見ただけで「宇宙」まで舞台を移すのか意味がわかりませんが。
カスの最大公約数、SEKIROと宇宙
君らと一緒にしないで。僕はどっちも詠んでないから
意味はわかりませんが、発想の飛ばし方としては悪くありません。「白いに違いない」という句末も、文語で「白かるべかりけり」などと荘厳に締める手もありますが、あえて口語の常体で飄々と言い切っているのが逆に一つの世界観を仕立て上げています。普通、助詞の「も」は使うと句の流れが理屈っぽくなってしまうので嫌われるのですが、この句の「宇宙も」はそれほど気になりません。ここの表現は大事にしたいですね。
一方問題なのが、冒頭の「空低し」。仰った通り、季語「空高し」に対するアンチテーゼらしいということはわかりますが、これでは季語になりませんし、何をもって感じている空の低さなのかが伝わりません。また、「宇宙も白いに違いない」の口語の部分が成功しているので、「低し」と文語の形容詞で言い切っているのがむしろ場違いに感じます。ここは別の季語を探しましょう。
確認なんですが、この「白」は空一面が雲に覆われているような「白」なんですね?
はい。霧というよりは曇りのイメージです
だとすれば、初夏の季語にはなりますが、「梅雨闇」という季語を使ってはどうでしょう。「梅雨闇の」として、後ろにつなげてみます。
読み上げます。「梅雨闇の宇宙も白いに違いない」。
「梅雨闇」とは梅雨の時期の闇。単なる夜の闇ではなく、今にもじっとり雨が降り出しそうな厚ぼったい雲が空を覆い、昼になってもなかなか日の差さない陰鬱とした薄暗さを指します。そんな梅雨闇の光明も暗黒もない闇の中では、雲の奥の宇宙すらも生気のない白が広がるように思える。普段は明るさを象徴する白に、なんだか影がさして見えてくる句です。
根が暗い
やっぱり立石寺も霧も関係なくなった
お題の意味ある?これ
【第5位】空低し 宇宙も白いに 違いない
添削:梅雨闇の宇宙も白いに違いない
作者:ういお
講評:ある季語を使ってほしい
第4位
4位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
実はこの霧は 俺らを 喰うらしい
(じつはこのきりは おれらを くうらしい)
は?
マジで?
そんなことは、ない
なんで選ばれたのこれ 作者です
また君ですか。やはり、散文体になるとういおが強いですね。
強すぎる
「圧」を感じる
終わりみたいな世界観を詠んだだけなんですが
典型的なシムシティ俳句の一例ですね。情景としてはシンプルで、書いてあることが全てです。
当然のように「ある俳句用語」かのように使ってるけどシムシティ俳句って何?
「霧が人を喰う」という発想・メタファー自体は、ある程度陳腐というか、見たことがないほど新鮮な表現ではありません。しかし、その「霧が人を喰う」という表現を支えている他の部分の単語が、この単なるシチュエーションの説明を一編の詩に押し上げています。
さっきからういおの句の説明だけ適当言ってない?
注目すべきは、語り部の一人称である「俺ら」。自らをくだけた「俺」という一人称で呼ぶこのキャラクターは、しれっと霧に喰われる対象を「俺ら(we)」にすることで、気づいたときには読者を勝手にこの不気味な霧の世界に引きずり込んでいます。
妖怪の類かよ
「実はこの霧は」までの部分を読んだだけでは、まだ読者は霧の世界を想像しただけで、霧の中にいるとも外にいるとも決めていません。しかし次の瞬間、自分はすでに語り部と一緒に霧に飲み込まれているのだという既成事実を作らされてしまう。
また次の瞬間には、その「俺ら」は今まさに喰われようとしているところなのだ、というなすすべもない状況に追い込まれます。一語一語が、読者をこの世界から逃がしてくれません。
怖すぎ
そういう意味では、冒頭の、散文的でただの字数合わせにも思える「実はこの」という5音が、読者をこの世界に誘い込む巧妙な罠となって配置されているとも言えます。
しかも、「俺ら」を喰おうとしているのはあくまで「この」霧。人を「喰うらしい」と分かっている「この」霧に、わざわざ語り部は読者を引き連れてきました。「らしい」という伝聞の助動詞には、そんな語り部が抱える一抹の不安も表れているかのよう。そこには語り部の役目・役割、責任感のようなものがあるのかもしれません。ホラーゲームの導入かフレーバーテキストのような、謎めいた背景を感じさせます。
また、数えると全部できちんと17音になっているのも心憎い。季語としての「霧」が持つイメージからは大きく離れてしまった印象がありますが、一行の詩・ストーリーとしてはかなり出来あがっています。
君やたぎょうの作品に関しては、「俳句」というより売れない劇団の劇のタイトルをいくつもいくつも送られてきている印象がありましたが、君たちがこのタイトルの劇を作ったら僕は金を払って見に行くと思います。添削は必要ありません。
俺と、演劇作ろうぜ
高校のときさんざんやったんだよなあ
【第4位】実はこの霧は 俺らを 喰うらしい
添削:なし
作者:ういお
講評:俳句コンテストではない場所で発揮してほしい才能
第3位
3位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
痛む足 霧の向こうに 街
(いたむあし きりのむこうに まち)
ういおだ
ういおっぽい
お察しの通り、僕です
575っぽい真面目な句を詠むのに疲れ始めて適当に詠んだ句だと思います
なんでこんなモチベの句が3位に来るんだ
さっき紹介した句もそうですが、まず書かれていることを読んで想像できる妥当な情景がきちんと一つに定まる、というだけで、このコンテストの応募作141句の中では相当上位に入ります。
カスみたいな理由
お前らがカスばっか出すからでしょ
怪文を読まされまくるこちらのことをちっとも考えてないような句を100句以上読まされた身としては非常にありがたいですね。
さて、解説ですが、まず「足」と「街」で韻を踏んでいるのが効果的です。
ほんとだ すげーーー!!
本人も気づいてないじゃん
「足」の方は「痛む足」と「霧」の前後にしっかりと場面のカットがあって「足」が印象に残りますし、
「街」の方も、本来5・7のあとに最後の5音が来るべき場所に「街」の2音だけが存在することで、かえってここに余韻が生まれ、「街」の音が強調されています。
加えて、「アイ」という母音の並びだけでなく子音も、どちらも「(あ)し」「(ま)ち」という摩擦音で終わっている点が共通していますから、この2語はかなり強く響き合っているといえるでしょう。
唯一欠点と言えそうな部分は、「痛む足」の「痛む」という部分が若干ありきたりではないか?というところです。
確かに。これは痛い
黙れ
しかし、先ほども指摘した、最後の5音の部分が「街」の2音で唐突に終わってしまう箇所。ここには、舞台が急に暗転してしまったような瞬間的な場面の切り替えが見て取れます。まるで、山道で足を踏み外してしまったかのような。その乱暴な終止が、かえってこの足の「痛み」と呼応して、読者の身体感覚に響いてくるとも言えそうです。
添削なしで、このままに鑑賞しても十分に味わいのある句だと思います。
ただし、この句を多少なりともいじるとすれば、考えようはあります。
たとえば、「痛む」の部分の若干の陳腐さを解消するため、ここを「足跡の」としてみましょう。「や」で切らず、あえて後ろにつなげます。
ここで「足」と「街」の韻は消えてしまいますが、最後に「街はある」と足して結びます。
読み上げます。「足跡の霧の向こうに街はある」。
ガラッと変わったなあ
こうすると、霧の中を進む旅人の希望・その裏腹にある不安を織り交ぜて詠んだ印象の句になります。この語り手は「街はある」と言い切っていますが、歩きながら目下の足跡に自然に目がいくような霧の中、その向こうに果たして本当に街は確実にあるのでしょうか。助詞の「は」には、そんな些細な二面性を託しました。
また、全体をだらだら続く一文の形式にしたことで、一語一語読み進めながら少しずつ光景が動いていく、映像のカメラワークのような視点誘導がはたらいています。
カスみたいな散文がちゃんとした俳句になるの、感動しますね
【第3位】痛む足 霧の向こうに 街
添削:足跡の霧の向こうに街はある
作者:ういお
講評:情景がわかる文章が送られてきて感動した
にしてもういお、入選作多すぎないか
まともなの送りすぎたかな
まともな俳句を送っていいコンテストだったんですが、知りませんでしたか?
第2位
2位の句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
メモ:明日 地蔵を探す 歯を埋める
(めも:あした じぞうをさがす はをうめる)
は?
これが2位?
これが、2位の句です。君たちの139句はこれに負けました。
自分でも納得がいかない。作者です
またういおかよ
ういおしかおらん
ういおの2位の句は、作風が元に戻ってホラーテイストの作品でした。
「メモ」の直後についている「:」(コロン)が、この作品の舞台を現代の我々が生きる日常の延長線上に引き戻します。そのメモは「明日」という言葉で始まる。
「メモ:明日」とつくメモは我々の日常に日々溢れかえっているでしょうが、その直後にミスマッチな「地蔵を探す」という文言が続くことで、一気に世界観が村ホラー、ほん怖・洒落怖の世界に片足を突っ込んでいきます。
まさにそれを意図してた
その直後、「歯を埋める」という二つ目の行為が出てきます。メモに書かれた一連のタスクに、「歯」という自分の身体性とのつながりが作られ、しかもそれは「埋める」ことによって土に還っていくわけです。身体の一部である霊魂に、その土地との地縁・血縁のような結びつきが与えられてしまう。一種の呪い(まじない)・儀式のような行為です。
「地蔵を探す」「歯を埋める」という一つ一つの行為は、それだけ見れば取るに足らないようなタスクですが、一連の流れとして組み合わせられたときに異様な不気味さを醸し出します。
そしてその一連の儀式は、「メモ:明日」という冒頭部分のなにげないフレーズによって日常に組み込まれてしまう。儀式の中身だけ見ればそれは「怪談の中の設定」「ホラーにありがちなクリシェ」だったものが、急にリアリズムを持って我々の日常に侵入してくるような気持ち悪さがあります。何を食ったらこんなことを思いつくんでしょうか。こっち来ないでください。
塩撒かれた
こうしてみると最悪だな
本当にやってることは最低最悪で気持ち悪くて、正直やめてほしいです。しかもそもそもこれは「俳句」ではないし、立石寺も霧も何も関係がない。
それはそう
ただし、この句がやろうとしていることには明らかな「表現」があり、その表現意図は実際に成功している。その確かな効果だけは素直に評価するしかありません。詩として完成しているし、しれっと575のリズムも揃えてきている。これを下手に添削すれば、作者の意図したバランスは崩れてしまいます。
なので、こんなふざけた句を2位にするのには非常に大きな抵抗がありますが、その表現と構成力をたたえて、入賞とさせていただきます。ただ、お願いですから俳句コンテストには2度と来ないでください。
【第2位】メモ:明日 地蔵を探す 歯を埋める
添削:なし
作者:ういお
講評:破門
破門された
準優勝兼、破門
第1位
長かった本大会も最後、1位・優勝句の発表です。
霧の中の立石寺の写真で、一句。
愛は さざなむ石楠のように
(あいは さざなむしゃくなげのように)
嘘。これなの?
はい。この句の作者はどなたですか?
僕です
だろうなと思いました。ということは、君のことだから当然作った背景を聞いても…
申し訳ありません。3秒で考えました
意味はわかりません
真面目にやれよ
でしょうね。3秒でこれが出てくるなら大したAIですが、残念ながらまともな人間から聞けそうな解説は君から一つも出てこなさそうなので、この句のいいところは全部僕が解説します。
限りなく褒められ、限りなくけなされている
よろしくお願いします。
まず特筆すべきこととして、他の140句を差し置いて、1句だけちゃんとした俳句になっていました。それだけで嬉しいです。
これ、俳句なんだ
破調で字足らずの句にはなりますが、季語はきちんと入っていますし、公に「俳句」と呼んでも差し支えないでしょう。少なくとも、「霧」をねじ込んだだけのシムシティ俳句とは雲泥の差です。
この句の季語は「石楠(しゃくなげ)」。花の名前ですが、よく知ってましたね。季語の辞典とか調べましたか?
いや、「石楠」って単語だけまず思いついて、これは愛だなと思って。
あとは適当に文字を埋めました
衝撃的な中身のなさ
君に聞いた私が間違ってました。続けます。
季語は「石楠(しゃくなげ)」で、季節は夏。シャクナゲは初夏に咲く花で、小さな花が枝先に複数寄せ集まって咲きます。ちなみに、「しゃくなげ」は「石楠」でも辞書に載ってるんですが、花の名前としては「石楠花」と書くのが一般的なようなので、特に表現意図がなければそれに合わせてしまいましょう。ここだけ先に直します。
続いて、真ん中の「さざなむ」。「さざなみ(さざ波、漣)」の動詞形ですね。実は辞書には載っていない動詞なので、使うべきでないという意見もあるかもしれませんが、「さざなむ」と言われれば、読者はざわざわと小さな波を起こす石楠花をきちんと想像してくれるでしょう。
もしこれを別の言葉に直すとすれば、「波立つ」「波打つ」といった動詞になりますが、実はこうすると「さ(ざなむ)」と「しゃ(くなげ)」のサ行・シャ行の摩擦音の響き合いが崩れてしまいます。
えっ、ほんとだ 綺麗………
作者ほど自分の句のリズムに気づいてないの、マジで何
ということで、ここは作者の造語のセンスに軍配を上げましょう。
ありがとうございます 3秒で考えたけど
それやめろ
さてところで、この句は文法的な構造の解釈によって読み方が2通りに割れるんですね。ひとつは、「愛は(、)さざなむ石楠花のように(〜)」という風に、「さざなむ」が「石楠花」の様子を説明している場合。
もうひとつは、「愛はさざなむ(。)石楠花のように」という風に、「愛はさざなむ」でいったん文が切れて、「石楠花のように」が倒置法で文頭にかかってくる場合の2通りです。
作者のイメージとしては、これはどちらかといえばどっちですか?
えー、前者ですかね
ですよね。僕も見たとき何となくそうかなと思いましたが、どっちもありえる読み方なので少し迷いました。読者の中で解釈が揺れてしまうのは少しマイナスなので、これを解消するために、あと1文字だけ添削させてください。
1文字?
どうするんだ
助詞を1文字足します。「愛は」を「愛とは」に変える。これで完成。
読み上げます。「愛とはさざなむ石楠花のように」。
これで、君が言った通りの解釈に定まります。
ほんとうだ。感動
雪の句と同じく、季語が比喩に使われてはいますが、「さざなむ」と「石楠花」の間が切れていないことで、身を寄せ合って咲く「さざなむ石楠花」のイメージがゆったりと、鮮明なイメージとして想像できます。
そしてそこに、甘くやわらかい「愛」のイメージがじわりと重なる。「愛」や「石楠花」がどんなものであるのか、それ自体は言い切らずに、2つのイメージだけを重ねることで、読者はそれぞれの「愛」と「石楠花」のイメージを紡ぎ、想いを馳せることができます。非常に優しく、美しい一句です。
応募作全141句のなかで、この1句だけが、自信を持って「俳句」と呼んで世に送り出せる作品でした。ただ唯一の問題点は、この句は立石寺も霧も、なにひとつ関係がないということです。
最高
オタクほんとそういうとこある
「立石寺」も「霧」も、非常に豊かなイメージと由緒ある歴史を持つ、ちゃんとした詩の材料として僕は君たちにお題を与えたのに、これをまともに使って詩を詠んでくる感性のある奴が一人もいなかったという事実が、僕は改めて悲しいです。全員、立石寺に改めて詫びを入れたうえで、顔を洗って出直してきてください。
すみませんでした。
全員破門
【第1位】愛は さざなむ 石楠のように
添削:愛とはさざなむ石楠花のように
作者:たぎょう
講評:「意味はわからない」と言われたのが、悲しい
おわりに
いかがだったでしょうか。インターネットオタク3人が捻り出したカス俳句141句の中から、トップ15句を紹介しました。
途中から場違い感がすごくて疎外感を感じた
真面目にやらないからだろ
オタクのかませ犬
なお優勝したたぎょうには、今回の記事で紹介した15句を筆ペンでそれっぽく書いたポストカードを贈呈します。
それっぽい
当然「忍殺-SHINOBI EXECUTION-」もあります。心を込めて書きました。
誰に送るんだよこれ
令和版呪いの手紙?
最も嫌いな15人にこれを送らないと、不幸が訪れます
最後に、応募作141句の中から最もムカついた落選作を1句晒し上げて終わりとします。
【落選】ジジジ静ジけジジジジジジやジジジジミーンミン岩にミンミンミンミンミーンミみンミンミンミンミンジジジジジるジジジジジ ミーンミンミンミンミンミンカナカナ蝉カナカナカナカナカのナカナカナ声カナカナカナジジジジジジうっさジジジジジジジジジ カナカナカナカナカナカナミーンミンミンミンミンミンミーンミンミンミンミンミン.
添削:不可能
作者:ういお
落選理由:論外
皆様、長い間お付き合いありがとうございました。さようなら。